昭和52年2月27日 特別報修委員


 昨夜は、土居の共励会で、(  ?   )三人で部屋にそれから三人で体をもんでもらった。能がやわらかになるというような何か病気がありますよね。え?、え?、能軟化性になった人のお話を文男さんがしよりましたが、もう本当に馬鹿と同じだそうですよね。子供と同じだそうです。それで結局まあ、私はこの頃はちょっとそれこそものをあの、電話を聞いとってから、えーと今の電話は誰じゃったのというてから、みんなが笑いましたが、忘れとると。もう本当に、老化現象でしょうが、こげんとがあるとならその、能軟化性になるとじゃないやろうかという話からだったですけれども。
 ところがそうばってん私は不思議に自分が好きなことやらは絶対に忘れんですぐ覚えよるところがあるもんのというて話ました。例えばなら昨日、栄四郎が研修の時に話した話を今日はそのまま今日はするでしょうが。それから昨日は遅くに、もと、(?)市丸さんがあの、歌うておりましたが、もう七十からでしょうね、あの人は。私(?)思うのです。それにもう我がええごと我がええごと、芸者さんこしらえてですね、もう本当にビックリするくらい。ちょっと、側で、(?)ちょっとばかりたまがりましたが、その詩の文句が、小唄を詠いました。(?)それに、その、私は物忘れが悪うして悪うしてすぐ忘れるけれども、なら、あのその自分が好きな詩、はあ、これはよか文句だと思うたらこれは絶対に忘れんというて、寝ながら私詩を聞かせたのですけれどもね、水のつき、手に取れないと知りながら、濡れてみたいは恋の欲という小唄の文句ですよね。私はこげな事はいっちょんすぐ覚えるばのというてから話したことでしたけれども。結局なら、私が老化現象で、そういう風に物忘れがひどくて、そのまあ、能軟化性か症状か分からんにいたしましても、自分の好きなことや、これは覚えて丘なんということは絶対忘れん。
 するとその、まあ、おかげを頂いておるわけなんですから、結局やはり、信心も同じ事でね、やはり好きにならなければ例えばなら、合楽理念をマスターするなんて事は出来ないですよね。(?)私が前度々言う事ですから、やっぱり信心が好きにならなければあの、いうなら、身につかない、なら私が自分でも小唄をやるし、小唄の文句でよい文句だと思うたから(  ?   )それをちゃっと覚えてしまっとる。それかと思うと電話が掛かってきてから今誰じゃったじゃろうかと忘れる位にあるかと思うと自分の好きなことはお知らせ下さる。信心もやはり好きになる稽古を始め無ければならないですね。
 御祈念前に田中さんのお届けをさせて頂いて、先生昨日ばっかりはどうした事ばっかりか分かりません。別に(?)ないのに、何かしらんけれでも親先生親先生とお唱えすると胸が熱くなるような思いがする。それはあんた、親先生が好きに成りよりなさると鯛と言う事です。ね。だから好きになるやはり稽古がまずいる。そこから、それこそ他の事は忘れたっちゃ信心の事は忘れん。信心の事だけは忘れんと言う事になれば、私は能軟化性にもならんのじゃないかと思いますね。お互いが信心を有り難い有り難いというておるけれどもどの程度に好きなのか。やはり皆さんに今日聞いて頂いた、今日の御理解の内容。袖擦り合うも多少の縁と言うくらいです。隣人愛というのも大きな意味でしょうけれども、字から呼んで、するならば、隣人とうのは隣りの人と書いてある。まず、隣人愛も結構ですけれども、まず隣りの人から、祈れ願え。私は秋山さんの性格の一番素晴らしい、素晴らしいなあといつも思うのは教祖の御理解を頂いて、とにかく、隣りの人の話が、あんまりが人から好かれなさんらんタイプの人らしいですけれでもやはり、信心でそれを頂ききっておられてそれを昨日見事におかげを頂いた話をしておられましたけれども、ほんに今日の御理解を頂いてから、隣りの人が繁盛するごとだんじゃなか、隣りの人が繁盛せんでよかごたる気がしますけんのというておりましたけれども、これは秋山さんじゃなかいいきらんですもんね。こげなことは。それでもやっぱ、人間そげなものを持っておるです。隣りのものが、蔵を建てると、こっちは腹たてるというように、ならその反対をひっくりかえすと、隣りをどうでんこうでんいっちょ、儲けださなければよかがというようなどっかあるです。人間には。それをあの、淡々として発表ができるというのは素晴らしいですね。それでいてなら祈っておられる、願っておられる。そしてお繰り合わせを頂いておられる。というような例えば今日のその事だけでもね、(?)色々読みましたが、恐らく控えておりますし、覚えてもおられましょうし、はあこれは本当に素晴らしいと思うたら、あらどげんことじゃったのちいうごたる事では、信心がそのくらいにしか好きでないと思わせて頂いて、それこそ、親先生というたら、何か胸が熱くなるくらいな信心を好きになる稽古からしなければいけないと言う風に思いますですね。
 とにかくお互いが段々年をとっていったら本当にいつ能軟化性になるかも分からんその私なりの一つの現象がね、そんなに物忘れをするという現象がひどくなったけれどもひとたび事神様と言う事になると、忘れるところか、人よりも物覚えも私は私はよかと思うけれども、お説教なんかでも聞いてきてから、今日はよかったと思うたら、三十分か一時間くらいなったら、そのまま大概、(?)私。そのやっぱよかと思わなければいかん。ですから信心もやっぱり同じ事。好きになる一つを手立てを作らなければいけないと思いますよね。
                                   どうぞ


入力者 松本正宏